箱根仙石原の別荘地に、
タイムカプセルに閉じ込めたように
当時を偲ばせる状態で残っていた山荘。
吉村順三先生が設計したなかで
最も小さな家の見学会が開催されるョと、
建築好きな友人に誘ってもらい、
その見学会を訪ねてきました!
空間に佇み、その良さを体感しながら、
再生に至るまでのご縁の繋がり方を知り、
建物が持つチカラに心を掴まれた午後のこと、
写真多め・スケッチメモと共にUPいたします♪
木立の中にひっそり。
でも一目でこのお家だ!と分かる佇まい。
築山に沿ってぐるりと回り込む
アプローチを経て玄関へ。
小雨がそぼ降っていました。
配置意図などの説明は
通常は外で行われるようですが、
この日は室内にて。
Brutusの記事やInstagramで
概要は知っていたつもりでしたが...
まさに ''一見は百聞に如かず'' です!
友人共々胸が高鳴っていました。
柱・梁、構造体を現し、
壁、天井がラワンベニヤ仕上。
床は桧フローリングと畳。
潔い簡素な仕上が美しくって...
「 これで良いんだよね~ 」
「 ううん。これが良いんだよね~ 」
「 窓辺でひねもす本読んでいたいー 」
興奮気味にそんな会話をしていました(笑)
以下、見学メモ。
1969年竣工
2025年現在、56歳の建物。
吉村順三先生の奥さまのいとこの家。
当時、予算100万円で設計を依頼され
ローコストで実現することにトライ。
( 現在の価値だと600万円くらい )
実際にはキッチンが参考見積書として添えられ
暖炉は吉村順三さんが新築祝いに贈ったものなので、
それらは100万円には含まれていない。
設計図集にも載っている家で、
矩計図や軸組図も掲載、コメントも有。
それくらい思い入れがあった家。
大事に設計した家だったので
遺したいと見学活動したが
誰も購入してくれずあきらめた。
そこからまたクローズ。
20年位使われていなかった。
と、この建物の経緯を説明くださいました。
↓ 吉村先生設計の暖炉。
軽井沢山荘物語でも
炎を楽しむ暖炉 という章で
こう記されていました。
- 燃える薪のにおい、薪のはぜる音。
- 暖房という実利的な面ばかりではなく、
- 暖炉にはそういう楽しみがあります。
予算がギリギリでも
この山荘でもその楽しみを味わってもらいたい...
そんな風に思われたからこそ
プレゼントされたのかなぁと想いを馳せました。
テーブルや什器も吉村順三先生セレクトだそうです。
↓ 剣持勇デザイン山川ラタンの椅子。
20年間誰も使っていなかった山荘はタイムカプセルのようで、
家の室内も当時の調度品も良い状態のまま残っていたそうです。
( 水周り・玄関周りの痛み、煙突部分の天井痛み、部分的雨漏り、床の傾きという劣化は在り⇒補修済み )
↓ 天童木工、水之江忠臣デザインのテーブルと椅子。
赤いファブリックも当時のまま。
これも吉村先生セレクト。
和室とLDKの段差は230mm。
畳で正座した時の目線と
洋間の椅子に座った目線とが
合うような設計意図。
加えて...
外との繋がりについて
説明がありました。
山荘は高床式になっているので、
窓の高さも木の枝のレベルで見渡せる
浮遊感を得られる仕掛け。
もうひとつ...
掃き出し窓の向こう側に
450mmという奥行きが小さなバルコニー。
↓ 室内側から。
この小さなバルコニーの意味。
人が出るためのバルコニーではなく室内の床が同レベルで繋がっていること...
高床式によって視線が(木々の緑が茂る)枝のレベルまで広がり
その中に自分も存在していているということを感じてもらえるためのデザインボギャブラリ―
( 軽井沢の山荘でも仰っているそう )
10・5坪という小さな山荘でも吉村順三先生のデザインコンセプトが
しっかり落とし込んであることを教えていただきました。
仕上は手に入りやすい素材で安価に。
でも造り付けた家具や
照明や建具類には細やかな設計配慮。
和室照明は既製品ではなくオリジナルデザイン。
この材料の端材を使って行燈も作られたとか。
自由が丘の家で同じ仕様があったそうです。
↓ シンク脇の収納家具。
二方向から使えるように設計。
通路にはみ出てしまうので
荷物搬入等の考慮されて可動式の家具としたのでは?
とのこと。
割り切り方と細やかさの按排加減...
キッチンシンクやガス台は
別予算だったためか既製品。
でも、吊戸棚はデザインされた造り付け家具。
箱の小口をトメに見えるように...
込栓を使っていたり...
図面に記されていないところにも、
細やかな気を使われているのが見て取れるとのこと。
どうして図面に無いところまで
配慮されてつくられたのか?
それはこの山荘を手掛けたのは、
他の吉村建築を手掛けたことのある
世田谷の工務店さんだったから...とのこと。
設計と施工とても良いチームだったことを伺えます。
阿吽の呼吸で作れる関係だったのでしょうね。
↓ 美和ロックのドアノブ。
金属プレートのスイッチ。
普遍的なデザインを選ぶことの意味を
この家に教えられたように感じました。
↓ 3帖の和室。
この小ささがまた良くって。
壁に設置しているのは、造り付けの本棚。
箪笥や調度品は、当時の施主さんのもの。
再生される家でも、
住まい手の暮らしが感じられるものが残る家は
やはりとても良いなと感じます。
大切に使われていたうえに
20年間手付かずだったこともあったのでしょうが...
まるで竣工当時のその時代にタイムスリップしたよう。
そういった意味でも大変貴重だと感じます。
↓ 1坪にオールインワンしている水周り。
狭い空間にピシッと納まってる!
ミニマムに!と、割り切っても
使い勝手よく...という配慮を感じられる空間。
外部へ。
見学会スタートの時の雨が雪に変わり
しんしんと雪がそぼ降る何とも佳き風情に...
外から見える室内の灯りの温かさ♡
この景は、
家って本当によいなぁ...
と感じさせてくれます。
↓ 南側。
↓ 西側。
玄関ドアは当時のデザインを踏襲し再生されたそう。
↓ この照明も素敵♡
↓ 北側。
↓ 東側。
深い軒があること。
高床式で湿気対策で床下に鉄板を張っていること。
これがこの家が長持ちした勝因のひとつなのでは?
と、説明されていました。
↓ 床下を覗き込む。
床にブリキが貼ってあります!
吉村先生は呉服屋さんの息子であり
衣類を仕舞う茶箱から発想を得たとか。
↓ 家を支える杭は12本。
17.5cm 直径 富士チューブ紙管に、
鉄筋1本 + コンクリートを流し込んだだけのもの。
とても簡単に移築できるので
この山荘を保存しようと決められた時、
移築したら?という提案も有ったそうです。
でも土地のボキャブラリーがあっての建築物だから
ここで再生させたい...
そんな現オーナー女性建築家の辻林さんの意思の元、
現在進行形で設計当時の姿に戻そうとされています。
現オーナーとなった辻林さんと
この家とのご縁の話がとても心に残りました。
それは辻林さんのInstagramでも書いていらっしゃいましたが
この記事 に詳しく記載されていたので、
リンクを貼らせていただきました。
見学会の最後あたりの雑談で...
最初に売りに出された時に誰にも縁が繋がらず
今回辻林さんにご縁が繋がったこと。
「 なぜ私だったのかしら? 」
と、辻林さんがボソッと仰っていました。
丁寧に吉村順三先生の設計意図を読み解き、
再生保存されることに真摯に向き合う熱量。
見学会で一所懸命に語ってくださる姿を拝見して、
見えない糸で結ばれていて...
それはもう必然なご縁だったのでしょう!!と
感じずにはいられませんでした。
本当に幸せな建物だなぁと感じ入ります。
よい建築物が残されていく日本であってほしいな。
こんな機会をくださった管理者の辻村さんに感謝。
誘ってくれた友人に感謝。
本当にありがとうございました!!!!
↓ 最後ラフなスケッチですが...備忘録的メモ。
( PDFはこちら → sengokuharanoie20250315.pdf )
宿泊体験も出来るようになるとのこと...
外壁が原設計時の杉板に変わった姿を観たいし
緑が美しい季節にまたぜひ再訪したいね!!と
友人と約束しました(*^-^*)
あと、この家を言葉で現すとしたらどんなだろう?と
見学に行ってからずっと心の隅っこにあって...
ある雑誌で建築家が練り上げた
簡素な家をこう表現されていました。(雑誌名失念(^-^;)
『 風格ある簡素な家 』
なるほど。的確。
私もそんな家を設計できるよう
頑張ろうと思いました(*^-^*)
帰りに立ち寄ったレトロな温泉...
にごり湯でとっても良かったので
また 別記事 でUPさせていただきます(*^-^*)
読んでくださった皆さまにとって
笑顔が生まれる
いいひになりますように♡
家での日々の暮らしが心地よいことが
住む人の幸せに繋がります!!
心を込めて ♪ (出美)
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